四季多彩 - 大山千枚田の風景写真集 Side-A


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大山不動尊


不動堂は桁行5間、梁間5間の本屋の正面に1間の向拝を設け、四方に擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)付きの切目縁を廻らし、正面中央に登高欄付きの木階段が取り付きます。屋根は銅板葺きで入母屋造りです。建築年代は、棟札から江戸時代末期の享和二年と推定され、建物自体は江戸時代中期の和洋建築様式を忠実に伝えています。規模、大きさの点からも県内有数の建物です。不動堂向拝(こうはい)の彫刻は、「波の伊八」として有名な初代武志伊八郎信由が50歳初めの頃の作である「龍」が彫られています。




■2006年追加写真


■2009年追加写真


SONY PCM-D50 / 内蔵マイク
♪大山不動尊の梵鐘(2008/12/29)

SONY PCM-D50 / 内蔵マイク
♪大山不動尊の鰐口(堂内にある平たい鐘)(2008/12/29)


本屋の柱は円柱で、側廻りは切目長押と内法長押を廻らし木鼻付頭貫で繋ぎ、台輪を置いています。頭貫木鼻は各柱毎に付け、台輪は隅で木鼻を出しています。組物は波の彫刻のある板支輪を持つ二重尾垂木入り三手先で、中備えには刳抜式本蟇股(くりぬきしきほんかえるまた)を配置しています。軒は二軒繁垂木(しげだるき)、屋根は入母屋造(いりもやづくり)、銅板葺で、妻飾りは二重虹梁大幣束(にじゅうこうりょうだいへいそく)とし、壁面は縦板壁、破風(はふ)に蕪懸魚(かぶらけぎょ)を付けています。柱間装置は正面中3間が両折桟唐戸(もろおりさんからど)、両端間連子窓(れんしまど)、側面前より第2間板戸引き違い、第3・4連子窓、背面中央間桟唐戸4枚引き違い、中央間両脇連子窓、その他横張り板壁となっています。

向拝は几帳面取りの角柱とし、獏鼻(ばくばな)付の水引虹梁(みずひきこうりょう)で繋いでいます。組物は出三斗とし、柱上及び菖蒲桁位置に牡丹と獅子を丸彫りした手挾(てばさみ)を付し、中備として龍の彫刻を入れています。唐破風(からはふ)の妻には二重虹梁を架け、壁面は下方龍の背景としての雲で覆われています。本屋と向拝の繋ぎは獅子頭木鼻付の海老虹梁です。

軒は照りおこりの飛檐垂木(ひえんだるき)を用いた飛檐打越二軒です。唐破風懸魚に飛龍の彫刻を付けています。内部は前2間通りを外陣とし、後方内陣境に格子戸を建て込んで結界しています。外陣には入側隅柱を立てて中2本の柱を省略し、虹梁を架け渡し、周囲を化粧屋根裏、内側を鏡天井としています。内陣は入側柱の周囲1間通りを化粧屋根裏、その他格天井とし、来迎柱を取り込んで前方に禅宗様三間厨子を安置しています。

不動堂は建立年代が明らかなうえ、建築本体と彫刻が一連の計画・施行になることが知られる稀な遺例です。彫刻の銘文には近隣の村々の人名や金額が見られ、造営には多数の農民の参加があったことも知られています。彫刻の手間賃からみて井八は向拝廻り全体の彫刻を担当したと考えられ、50才始めにおける活動を知る資料として貴重です。建物は内外陣を格子戸で結界した密教堂形式の典型例で、向拝廻りに多くの彫刻や絵様を施して飾る一方で、本屋を本格的な三手先組物と本蟇股の簡潔な外観としています。また、外陣に入側隅柱を残すなど古式な面も残しています。

大山寺は大山不動の名で知られ奈良時代の神亀元年(724)に良弁僧正が創建したと伝えられる寺院で、長狭地方でもっとも古いお寺の一つで、高蔵山山頂にある高蔵神社の別当寺です。中世から近世にいたる大山寺信仰を知る資料として『安田文書』がありますが、寺院や不動堂に関する資料は散逸し、その創建や沿革については不明です。
相模の大山不動下総の成田不動とならぶ関東三大不動の一つといわれ、地域の人々から厚く信仰されてきました。
大山不動は鎌倉時代の源頼朝、室町時代の足利尊氏、戦国時代の里見氏の信仰が厚く、頼朝は治承4年(1180)9月、大山寺に詣でて戦勝を祈り、鎧1両と太刀1振りを奉納したと伝えられています。

その建物の伽藍(がらん)の荘厳さは東国随一といわれていましたが、室町時代末期の永禄・天正の戦いで破壊されました。その後、天正14年(1586)に再興されたものを、216年後の享和2年(1802)に改めて再興したものです。この時の工事は新築で、大工は平群郡本織村(現三芳村)の伊丹喜内英俊と長狭郡大幡村(現鴨川市)の畠山喜右衛門安國で、向拝彫物を武志伊八郎信由が担当しています。

その後の経緯は明らかではありませんが、来迎柱を宮殿内部に取り込んだ形で須弥壇廻りの改造を行っているほか、屋根が銅板茸に改修されたのは、昭和三十六年(1961)のことである。長い年月の間に傷みがひどくなり、平成七年から八年にかけて解体大修理が施された。


不動明王


千葉県県指定有形文化財
木造不動明王坐像及び両脇侍立像

不動明王像は、顔は左目をすがめ、右目を瞋らせた、いわゆる天地眼とし、左牙を下に、右牙を上に出した忿怒形をしています。右腕は右腰脇で宝剣を握り、左手に羂索を持ち、岩座上に結跏趺座しています。向かって右脇侍の矜羯羅童子は垂髪で、両手を曲げて胸の前で合掌し、左足を斜め前に出し、腰を僅かに捻って岩座に立っています。左脇侍の制痩゙童子は髪を角髪に結い、肩に掛けた布の両端を、胸前で握り、右手は右腰前で棍棒を持ち、右足をやや前に開き、腰を僅かに左に捻って岩座に立っています。三尊ともケヤキの一木造りで、目と唇を除いては彩色の痕跡がなく、もともと素木の像であったと思われます。古様な構造もっていますが、随所に写実的な傾向が見られるので、鎌倉中期の作と考えられます。なお、本尊の不動明王像が県の文化財(彫刻)に指定されたのは、昭和四十五年(1970)のことである。


高蔵神社


神亀元年(724年)、大山寺と共に良弁僧正が創建。源頼朝の信仰厚く水田数町を寄せ、また足利尊氏は祈雨満願によって水田を寄進、社殿及び400余段の石段を築造した。天保11年(1841年)正一位に叙せられ。石尊大権現高蔵神社と敬称す。明治6年長狭21村(大山・吉尾・主基)の郷社となる。享和2年(1802年)3月12日。落雷のため社殿を焼失、再建される。祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。

神事と芸能

神楽獅子舞および羯鼓舞。鴨川市北風原の春日神社より降雨祭による羯鼓舞の奉納がある。この神事は弘安5年(1282年)以来続いているもので、羯鼓舞は県の無形文化財に指定されている。神楽獅子舞は、大山地区の各神社より年番による奉納がある。

「大山のあゆみ」「鴨川市の文化財」(鴨川市教育委員会)から文書引用






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